謎の野鳥の死

【事件のあらまし】

西宮市高座町にある新池(しんいけ)に異変が起きたのは、1995年8月初めであった。 新池(17,000平方メートル)は閑静な住宅地の中にあり、雨水の調整と農業用水に利用されている。中州にはカルガモやカイツブリが生息している。
毎日散歩していた近くの主婦が、カルガモが死んでいるのに気づいた。それ以来水鳥が死んでいるのを時々見つけ、8月末に西宮市保健所に知らせた。9月4日、保健所員が現場を訪れて、自力で立てないカルガモ数羽を保護した。しかし手当むなしく1羽を除いて死亡した。羽の油分も無かったという。水質検査では異常無しだったので、市では『鳥特有の病原菌による病気』であろうと推定したが、その後は手詰まり状態であった。

しかし、このときアオコが同池に異常発生していたことには、注意が払われなかったらしい。簡単な水質検査にパスしたので、『池の水には異常が無い』と早計してしまった。しかし、これが大きな間違いであった。

新聞報道(朝日新聞9/17)で異常事態を知った松阪龍起さんが現地に行ってみると、一面に緑の絨毯敷き詰めたようにアオコが大発生しているのに気づいた。同じく野鳥で有名な伊丹市の昆陽池で話を聞いてみると、ここでは毎年のようにアオコが発生して野鳥(サギ、カモ)に被害が出ているというが、原因は特定出来ないでいるとの事であった。アオコにも有毒の種類があることを知った松阪さんは、アオコの入った池の水を持参して武庫川女子大薬学部、木村行男教授に検査を依頼した。木村教授は、名城大学薬学部と共同で9月30日、このアオコがラン藻類の一種、ミクロキスティス・エルギノーザであり、ミクロシスチンという肝臓毒を持つことを確認した。保護したカルガモを、松阪さんが西宮市内のヒロ動物病院で検査してもらったところ、血液検査で黄疸反応が確認された。また、死亡したカルガモを解剖してもらった結果、肝臓壊死があることもわかった。

すなわち、カルガモは餌である水草を食べるときに、異常発生したアオコを一緒に食べてしまっていたのである。体内に入ったアオコは消化され、血液に入って肝臓を侵して死に至らしめた。

新池には近くの河川から用水路が引かれているが、阪神大震災で一部が壊れて水が入らなくなった。その後再開通したものの、雨が少ないにも拘わらず生活排水が大量になだれ込んだために、水質が豊養化したものと考えられる。それに猛暑が追い打ちをかけて、アオコの大発生につながったのであろう。

その後10月に伊丹市の昆陽池(こやいけ)のアオコも木村教授らによって調べられた(*)。やはりミクロシスチンが検出されたが、新池の約十倍も毒性の高いミクロシスチンLRと呼ばれる種類が7割も含まれることがわかった(新池はミクロシスチンRR)。現在のところ、死亡した野鳥を解剖検査したことが無いので、本当に毎年このアオコ毒素で死亡しているのか確証が無いという。

海外ではアオコによる家畜の死亡など、魚介類以外の生物被害が多数報告されているが、我が国ではほとんど例が無い。今回の事件は、我が国ではほとんど知られていなかったアオコによる被害というものを認識させた。

(*) この結果は1999年、論文(英文)となって発表された。
表題:"Possible Cause of Unnatural Mass Death of Wild Birds in a Pond in Nishinomiya, Japan: Sudden Appearance of Toxic Cyanobacteria"
雑誌名:Natural Toxins, 7:81-84 (1999)


【浮き彫りになった問題点】

今回の事件は行政機関が解明したのではない。一市民の松阪さんが走り回り、個人的に木村教授や動物医院に検査を依頼して初めて解決しえたのである。行政は、一般市民には想像もつかないほど細かく縦割りになっており、例えば今回の水質検査は、アオコ以外の水質検査であったのに、『”水”には問題無し』とされてしまった。もう少し広く考える事が出来なかったのだ。また常識からは信じがたい事であるが、死んだ野鳥の解剖さえもしないのである。型通りの対応だけで、一件落着である。聞くところによれば、同じような野鳥被害は全国あちこちで起きているらしい。しかしほとんどの場合、原因が明らかにならずに、安易に迷宮入りになるとのこと。松阪さんは今回、硬直した行政の弊害を今更ながら思い知ったという。末端の行政職員は、与えられた狭い範囲の仕事しか発言権が無いので、広い観点から行動することが出来ない。統括すべき上層部には、やる気のある人材がいないようだ。今回も、松阪さんの献身的努力がなければ迷宮入りであった。


【今後の見通し】

アオコの原因の一つが生活排水の流入であることから、下水施設の完備が待たれる。しかし新池も昆陽池も、供給される水の量が絶対的に不足している。昆陽池では井戸水を汲み上げているくらいだ。その一方、かつて田畑の貯め池であった歴史があるため、現在でも貴重な水を提供しなければならないという、水利権の問題も絡んでいる。



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